文字雑記
<2007/10/13>
2007 年9 月、猪苗代湖畔にある野口英世記念館へ行くことがあった。
猪苗代湖は広大な湖で、対岸に連なる山々、広がる水田にはほとんど建物が見当たらず、その景色のあまりの想像以上の広がりにある種の不安さえ覚えた。
野口英世記念館は大きなお土産屋と和風レストランが集まるドライブインのようなところの一画に存在し、首相や著名人が訪れる有名スポットである。記念館の裏には野口英世の生家が風雨を避けるガードの下にそのまま保存され、例の英世が落ちた囲炉裏も見ることができる。
この記念館で、意外にも野口英世と写植の繋がりを発見することになった。野口英世と薬学部の親友が二人で写っている写真である。この親友の名前は星一(はじめ)。星製薬の社長であり、星製薬は写研の創業者石井茂吉とモリサワの創業者森澤信夫が勤務し、製薬ラベルの為の写植機を開発したその会社である。詳細な歴史を知るわけではないが、製薬会社に来社した野口英世と写植の開発者達が出会った可能性も充分にある。福島の北の端にまで来て、文字の偉人達の以外な繋がりを発見してしまったことに、ついつい自分と文字の縁の深さを思い巡らしてしまった。
<2007/11/16>
カタカナの「ス」で始まる写研の書体は鈴木勉さんの書体である。スーボとスーシャ。70 年代に小学生だった私は、近所に文房具屋が無かったので隣町の文房具屋まで行っていた。ある日「ぺんてるの修正液」が発売したばかりだったので、一つ買ってみたのだが、そのロゴがまた初めて見るデザインでずっと印象に残っていた。後になってその書体こそスーボであることがわかった。
文字を太さの限界を越えて太めた時、まさかエレメントを重ねて表現してしまうという発想があったとは驚きであった。発明、発見と同レベルの着想でありしかもその逆転の発想を逆手に取って、ユニークで、しかも美しい。その時から私の目標はいつの間にかスーボになった。
同じ事をやっても仕方ないので、ノートのタイトルや美術課題のポスターなど文字をデザインする度にいろんな事をやってみた。しかしやればやるほどスーボの発想とデザインの完成度の高さに脱帽せざるを得なかった。当時は写植の存在も写研という会社もまだ知らなかった。当然それが書体であるという認識も無かった。
美術が好きだった事もあり、漠然とデザインに進もうと思っていたが、進学した高校に美術部がなく、自然と美術大学の道が閉ざされた。工学部の工業デザイン学科へ進み、そこで初めて写研の手動写植機とご対面した。先生にガラス文字版一枚15万円だよ、割ると高いよと脅かされた。写研の見本帳でスーボの名前を知ったのもその頃である。
写研の機械に麦の穂をモチーフしたマークがあしらわれていたが、当時の当学の就職担当の先生がデザインしたものであるということだった。そんな縁で、私は写研に勤める事になった。どこかであのスーボをデザインした人に会いたかったのかも知れない。しかし、就職が決まったものの、もうその人は写研にはいなかった。数々の伝説(高倉健伝説)を残して、字游工房という会社を立ち上げるために、私とすれ違いで写研を辞めた後だった。
写研に入社して初めてスーボの素性が明らかになった。1970 年代より、2年に1度写研ではタイプフェイスコンテストを主催しているが、第1回の1位の書体が「ナール」。中村さんが作ったアールの効いた書体でナール。第2回の1位が「スーボ」であった。鈴木さんが作ったボールドの書体でスーボ。それぞれ写研より書体化されている。スーボは香港で多く使われている。中国人に受けるらしい。最も北京大学が写研の書体をそっくりコピーし平然と使っていて問題になったが、あの国では著作権が無視されるので困ったものである。
第3回の1位が「スーシャ」。鈴木さんが作った斜体の書体でスーシャ。私が一番好きな書体である。おしゃれなレストランのメニューに使われると映える。ワインの品目がこの書体で組まれると最高に品格が高くなる。
この書体のコンセプトは横組みの明朝体。打ち込みからウロコまで新しいデザインが施され、明朝体の革命と言っても過言ではない書体である。開発秘話は目撃証言者の先輩方にお譲りするとして、この書体は線の方向性に隷書の筆法を取り入れていてまさに“発明”というのが相応しいデザインである。斜体のボディラインも安定感を出すために、左端と右端では傾きが若干変えてあり、平行四辺形でなく台形である。
字游工房に遊びに行く機会があり、鈴木勉さんに初めてお会いした。お忙しそうでご挨拶をしただけであったが、私が川崎市の高津区出身であることを告げると、友達が高津消防署にいるとおっしゃられていた。団体でおしかけていたのでそれ以上はお話できなかったが、私と鈴木勉さんは高津消防署つながりとなった。消防署隣の川崎銘菓「鮎せんべい」はとてもおいしい煎餅である。高津におこしの際は是非お立ち寄りを。最後に一言。鈴木勉は石井茂吉に並ぶ天才である。と言いたいところです。
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